早稲田大学石田研究室


事例分析における対象事実の真実性判断に関する実証的研究

岡本 満喜子


1.はじめに
 現在、技術的原因による事故の減少に伴い、相対的に事故の人的要因の重要性が高まっている。道路交通事故についても同様であり、事故要因の80%程度は人的要因であると指摘されている。交通事故防止対策策定のため、幅広い分野から研究が行われているが、このうち事故分析の中の事例的分析は、個別の事案について分析を行い、事故の原因を明らかにして対策策定に役立てようとするものである。事故分析に当たっては、最初に事実関係の調査を行うが、その場合、異なった調査結果が出てくることがあり、これは特に事故当事者等人に対して調査を行う場合に顕著である。このような場合に、誤った事実関係に基づいて対策を行うと、対策そのものが実効性のないものとなってしまうおそれがあるため、分析の対象となる事故の事実関係が真実と合致していることが、効果的な対策策定のために必要である。しかし、当事者らが事故に関して証言している内容が信用できるものか否か、すなわち真実か否かを判断する方法につき、事故分析の分野で行われている研究は数少ない。この点につき、法律の分野からは、虚偽の自白や真実に反する証言を排除するよう、特に刑事裁判の分野で制度的手立てが設けられているが、それらを完全に排除するには到底至っていない。さらに、心理学の分野からは、虚偽自白、真実に反する証言が行われる理由の解明が、記憶のメカニズムとの関係で進められているが、上記研究は刑事裁判を念頭に置いたものである上、実際の事案への適用という面で問題が残る。
 そこで、本研究では、事故原因を調査し、入手した調査結果に齟齬が発生したときに、何が真実かを判断できるようにする手段を開発することを目的とした。
 その手段として、交通事故における、当事者証言等人に関する証拠を対象に、チェックリストの作成を行った。

2.作成方法
 まず、何に基づいてチェックリストを作成するか問題となるが、双方の主張する事実関係に齟齬がある場合に、証拠に基づき何が真実かを決定するのが裁判である。このため、その判断過程を分析すれば、判決において、何を証拠とするか、また証拠のどのような点に着目して信用性を判断するかという判断要因がわかる。この要因を抽出し、分類することで、当事者らの証言内容に齟齬がある場合の判断基準となりうる。そこで、チェックリストの作成対象は、判決とした。具体的には、交通事故事例で、事実関係に争いのある判例(うち刑事事件5件、民事事件5件)で、判例集に掲載されているもの10件を対象とした。
 チェックリストにおける要因の分類にあたり、まず証拠の種類に応じて人証、物証、書証に関するものに分けた。人証ではさらに、当事者に関するものと目撃者に関するものに分けた。次に、物証については、真実性の判断に鑑定を用いているものは除外し、専門知識を有しなくても真実か否かが判断できるもので、かつ、当事者・証人らの証言の信用性判断に用いられているもののみ対象とした。書証についても同様に、当事者らの証言の信用性判断に用いられているものに限った。その上で、各証拠の信用性に影響を及ぼす要因を、まず証拠の種類に従って分類した上、大項目に整理し(小文字アルファベットで表記)、さらにその具体的な内容を小項目としてあげた(アラビア数字で表記)。

3.チェックリストの検証
 実際の事例に作成したチェックリストを適用し、真実性判断をする上で有効に機能するか否かの検証を行った。検証対象事例は、異なる当事者の主張内容とそれを基礎づける証言等証拠関係が記載されていること、それにつき、いずれが真実かを決定していて、その判断過程が記述されている必要がある。そこで、検討対象とする資料は判決とした。対象とした判決は、交通事故事例で、事実関係に争いのある判例(うち刑事事件5件、民事事件5件)で、主要判例集に掲載されているもの10件である。
 チェックリストの検証を行う上では、事故発生経緯や事故当事者相互の関係が明確であることが望ましいことから、これらの要件を満たす事故分析手法であるバリエーションツリーを用い、それに改訂を加えることとした。具体的には、ツリー内の記載事項につき、事故全体に影響を及ぼしている事項(天候、道路形状等)は、前提事項としてツリー下部に記載し、便宜上、判決年月日等もここに記載した。次に、当事者の個人的属性に関する事項の他、運転していた車両の種類もここに記載した。ツリーの軸は、当事者、環境要因の他、証人と当事者の挙動や位置関係の変化が当該事故を考える上で重要な事案の場合は、証人も軸に加えた。なお、軸は、運転者要因とその運転車両に関する要因とは同一の軸に記載した。当事者の挙動で関連するものは矢印で結んだ。左側に時的経過を記載した。ツリー外の記載事項につき、ツリー内に記載した事項の説明およびその事項に関する当事者等の証言内容その他の証拠を記載し、対応関係は番号を付けて特定した。ツリー内に証人軸を設けない場合であっても、重要な証言をしている証人については、右側に当事者軸と同様の目撃者欄とそれについての説明欄を別途設けた。なお各事例について、バリエーションツリーは、@信用性が排斥された側の主張・証拠に基づくものと、A判決が真実と認めた事実関係と2種類作成した。
 次に、まず@のバリエーションツリーにチェックリストを適用し、信用性判断に影響を及ぼす要因を抽出してツリー上の該当箇所に記述した。この例を図1に示す。

 それら要因を、当事者証言に食い違いのある具体的な事実関係毎に整理した。整理の項目は、当該事実関係を根拠づける積極証拠、その証拠の信用性を強化する要因と否定する要因、否定する要因がある場合はそうなったことを合理的に説明できる事由があるか否か、当該事実関係の存在を否定する証拠(消極証拠)、その信用性を強化する要因と否定する要因に分類し、一覧表にした。分類の結果、当該主張につき、積極証拠とその真実性を強化する要因がある場合、信用性否定要因があっても合理的理由がある場合、消極証拠があってもその信用性否定要因がある場合は真実性ありと判断して○を、信用性否定要因しかない場合、消極証拠とその信用性強化要因がある場合は、真実性なしと判断して×を、積極証拠に信用性強化要因と否定要因双方がある場合、積極証拠と消極証拠双方がある場合などいずれとも判断できない場合は△を、結論欄に記載した。その一覧表から、争いのある各事実関係の存否を判断した。この記載例を表1に示す。


次に、Aのバリエーションツリーについて、判決がどのような要因に着目して証拠の真実性、事実の存否を判断しているかを分析し、各要因をツリー中の該当箇所に記載した。この例を図2に示す。なお、本記述で証拠の信用性に関する要因を表すのに用いた記号は図3のとおりである。




その上で、各証拠と要因の関係につき、@の場合と同様分類表を作成し、各争点につき真実性の存否の判断結果を示した。この例を表2に示す。

4.チェックリストの有効性の検討
 検討対象とした判決10件のうち、8件は判例と同じ結論を導くことができた。このうち1件は、チェックリスト適用結果と判決の判断結果が全て一致した。残り7件については、個別の争点毎にみると結果の食い違いが見られるものもあったが、全体的な結論については、判決と同じ結論を導くことができた。また、判決が真実性判断にあたり考慮した要因157個のうち、128個をチェックリストにより抽出することができた。このため、本チェックリストは、本件事案に限り、証拠の齟齬が生じた場合の真実性判断基準として、有効に機能したといえる。
 他方、チェックリスト適用結果と判決との結果の食い違いにつき、チェックリスト適用上は信用性を強化する要因と否定する要因両方があり、いずれとも決せられないが、判例はリストでは抜けている要因を用いて信用性判断を行った例が見られた。さらに、本チェックリストによって抽出できなかった要因が計29個(重複した要因をまとめると実質22個)存在した。そこで、各要因につき、関連する証拠の種類に従い、作成方法で述べたと同様の手順で分類した。その結果に基づき、チェックリストを改訂した。改訂したチェックリストを、表3に示す。
 このように、本チェックリストの、対象事案における有効性は確認されたが、次の問題点があることが判明した。

 まず、追加した要因以外にも、判断に必要なのにチェックリストから抜けている要因が存在する可能性がある点である。この点は、チェックリスト作成対象となる判例数をさらに増やし、要因を幅広く抽出することで解決が可能である。
 次に、チェックリスト適用結果と判決結果に齟齬が生じた事例の中で、チェックリスト適用上は、信用性強化要因と否定要因双方があり、いずれとも決せられないが、判例は同じ要因を用いて積極的に真実性の有無の判断を行った例があった。この場合の真実性の判断基準については、検証判例数を増やし、どの要因がどのように判断されているかの分析例を増やし、各種要因の判断への影響の強弱を類型化することで解決可能と思われる。
 また、チェックリスト適用結果と判決とで、真実性の判断に用いている要因はほぼ同一であるが、前者では、各要因から真実か否か判断したのに対し、判決はこれを不明とした例があった。これは、証拠が事故当事者の証言しかなったこと、訴訟の争点が事実関係より責任割合の方に重点が置かれていたためと思われる。このような事案への適用方法も同様に、当該類型の事案の分析例を積み重ねることにより、解決可能と考える。
 さらに、本研究で分析対象としているのは敗訴側の事実関係であり、分析者にはこれがわかっていることから、この点のバイアスがかかる可能性がある。また、バリエーションツリーの作成、チェックリストの適用、一覧表作成の3段階で実施者のバイアスが入る可能性もある。この点については、今後、複数人で検証を行い、一致度を測ることで客観性を確認することが可能である。
 また、今回は鑑定の信用性が問題になる事案は対象としなかったが、チェックリスト適用結果と判決の判断結果とが異なった例の中に、判例が鑑定結果も判断資料としたために結論が異なった例があった。また、実務上、実況見分調書等書証の信用性判断も事実認定の上で重要である。このように、真実性判断の上では鑑定や書証も重要な地位を占めることから,それらの真実性についても判断できるチェックリストを作成することが、将来的な課題である。
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